「馬鹿親の子どもは馬鹿になる」 平塚市 県立神田高校事件
 神奈川県平塚市の県立神田高校の受験で、髪型や服装のチェックで22人の受験生が不合格となった件で、校長が更迭されるという事態になり、それに保護者会が反対しているという事がニュースとなっていました。

 僕はどちらがどうという訳ではありませんが、この校長先生を更迭するというのは、教育委員会のあまりの無策振りを露呈したと思っています。


 そもそも、人間はなぜ学ばなくてはいけないのか?


 それは、積極的利他主義による共恵社会を形成する事により、他の生物を圧倒してきた進化的戦略の上で必要な事なのです。

 また、服装、髪型などはおよそ個人の自由 (個人的主観) だとは思いますが、社会的選択圧により今日まで構成され続けて来た社会、並びに学校社会では、そこにふさわしい身だしなみをするという事は、コミュニティーのクオリティーを維持するという面から非常に重要な選択圧となるわけで、そこに個人の自由という主観を持ってくる事は明らかにそこに不合理が生じるのです。

 
 常識とは、常に主観に支配されるものなので、それによる整合性の判断は非常に議論を呼び、無駄な主観の争いになってしまうのでここで僕は語りませんが、今そこにあるコミュニティーを維持するための自由の制限、もしくは責任者の判断はやはり最優先されるべきと考えます。

 そうでないと、我々の今の社会を存続発展させる事は不可能になりますし、「法」自体が意味をなさなくなるからです。

 
 まぁ簡単に言うと、あなたがここの校長だったとして、成績は結構いいんだけど、金髪でド派手な格好をした受験生にすんなり合格通知を出せるか?という事なのです。

 
 知能を数字上だけで判断するのは大きな間違いです。

 数値より大事なものは、「行動」です。

 テストができたとしても、主義主張によるコミュニティーへの攻撃的態度は、現存するコミュニティー・メンバーから決して受け入れられる事はありません。

 そんな事すら考えられない生徒に、合格通知を出す必要は全く無いのです。


 高校受験は筆記試験のみではなく、必ず面接があります。

 いちいち細かく「こんな髪型はだめですよ。」とか「こんな服装してると不合格になりますよ。」などという事を、ことさら言う必要性はどこにもありません。

 そんな事は受験する前に、親なり教師なりが「やめときな」「こうしときな」と言うべきでしょうし、受験生自体が「これでいいのか?」と考えないといけない事です。


 落ちるような格好で受験させた親や、それを止められなかった周りの人間に僕は責任があると思いますし、バカボンのパパじゃありませんが、「これでいいのだ。」みたく考えてた受験生は、自業自得としか言うようがありません。


 
 「馬鹿親の子どもは馬鹿になる」

 正にこれを地で行ってる「馬鹿馬鹿しい事件」だと思いますが、みなさんいかがでしょうか?


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テーマ:英才・幼児・早期・障害児教育 - ジャンル:育児

【 2008/11/01 21:52 】

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