![]() ![]() ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ コメント&応援していただいた方は必ずお伺いして応援させていただいております。 なんとか4ポチお願いできないでしょうか? 何卒よろしくお願いします。m(_ _"m)ペコリ → 育児教育研究会公式HPはこちら ← 【重要告知】 来る8月27日土曜日 待ちに待った「算数検定」を行います。 対象は幼児以上です。 幼児向きの検定もありますから、是非ご参加ください。 時間等は、参加者の人数によって変わりますので、決まり次第お知らせします。 恐らく午前中での実施になると思います。 何卒よろしくお願いします。 以前に掲載した記事の再掲載です。 以前僕は、まぁ、何年か前なのですが、あるブログの宣伝文句に「赤ちゃんを天才に♪」と書かれていたのをみて、「天才とはなんぞや?」と質問を投げかけたことがあります。 そんな事できるという確証を求めたのです。 今考えると、バカな事したなぁ・・・と反省しきりです。 ある幼児教育の教材販売会社もこんな事をうたい文句にしています。 これって、書いている人や企業からすると、顧客を増やすという観点からは非常に合理的なんですよね。 法律に触れない事で、自由競争社会を生き抜くことは非常に適応的です。 またそれによって生活している人が多々ある訳ですから。 もちろん企業倫理や道徳などは考えずに・・・・ですよ。 僕がアップした記事で「天才」を使っている題名の記事があります。 しかし僕は、別にその子が本当に天才的なのだ、ということやその方法論を論じているわけではありません。 ましてや、天才児が作れる、などと言って生徒を集めている訳でもありません。 僕にとって「天才」という言葉は、単なる言葉なのであって、別段深い意味は無いのです。 それよりも僕にとって大事な事は、その言葉によって読者が増えたり、記事を読んでいただくことによって、病気を抱えてたり、障がいを持っていたとしても一生懸命がんばっている子ども達がたくさんいるんだ、という事をみなさんに知っていただきたいだけなのです。 そしてそういう子ども達や保護者が、努力し続けている、という現状を知っていただくことによって、そうではない子ども達にもっともっとがんばってもらえたり、そうした子ども達に対する差別や偏見が無くなってくれればいいとも思っているのです。 また「よくできたねぇ、天才だねぇ。」と声かけする事によって、子ども達がドンドン取り組みを続けてくれたら、それこそ願ったりかなったりなのです。 それこそが、僕にとっては非常に合理的なのです。 それをことさら「天才の概念は・・・。」「天才かどうかなんてわかんないじゃん・・・」などと過剰に反応する人もいて、僕としては「ちょっと違うんですけど・・・。」と苦笑いするのです。 まぁ、放っておけばいいことなのかもしれませんが、誤解している人もいるかもしれないのでとりあえず記事にしておきました。 結局は、どういう行動をとってほしいのか、ということが大事なのであって、それを能動的に生起させるために様々な方法を考えアプローチするのが保護者も含めた指導者側の大事なところなのです。 つまり、「天才」という言葉を使って子ども達が勉強してくれるのなら、僕はこれからも使い続けるってだけのことです。 d(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ いつもの秀才児の4歳4か月の頃です。 とても懐かしい動画です。 みなさんのお子さんもこれくらいはできるようになりますよ。 運動発達を科学する PART 25 乳児の反射行動と律動的な繰り返し運動は、後の運動行動とは明らかに異なるように見えるという問題が残っている。 発達の研究者のほとんどが、前者を不随意とし、後者を随意という時、乳児は反射行動については選択できないが、後の随意行動では選択できることを意味している。 しかし、これも役立つ区別とは思えない。 乳児の反射行動や律動的な繰り返し運動と後の随意行動との違いは、一方が決定されるものであり (すなわち原因がある) 、他方が自由意志の問題であるようなことではなく、むしろ両者は異なる変数によって制御されているということである。 特に、乳児の反射行動と律動的な繰り返し運動は人という種の進化の歴史ゆえに、ある刺激によって引き起こされ、一方、後の随意行動は生涯にわたるオペラント条件付けの歴史ゆえに、もっと多くのさまざまな先行事象により引き起こされる。 両者ともにそれぞれ原因があり、どちらも自由意志によるものではない。 乳児の反射を誘発する変数は、通常、手を伸ばし握ったりすることや歩行を喚起する変数よりも明確に識別でき、同定しやすい。 また、後者の変数も外的制御から自由になるものではないというのも事実である。 おそらく、随意の定義として適当なのは先に述べた第2の定義、つまり「偶然ではなく、意図的なもの」である。 この場合、意図的 (あるいは故意) という言葉は、強化随伴性による行動の制御を意味する。 事実、スキナー (1974) は、「まさにその本質によって、その行動 (オペラント行動) は将来を志向する・・・・。」という意味で、「オペラント行動は、まさに目的と意図の領域である。」と主張している。 スキナーが将来という言葉で意味していることは、特定の状況における行動の結果は、類似した環境でその行動が将来生起する事に影響を与えるということである。 目的や意図という言葉は、当該の行動がオペラントであって反射でない場合に使われる。 ------------------- 続きます。 育児教育研究会(いくきょうけん) 761-8081 香川県高松市成合町1066-13 エメロード成合102号(本部教室) 087-813-6969 ikukyouken@energy.ocn.ne.jp ※ いつもランキングにご協力いただきましてありがとうございます。 本日もまた1個だけでも結構ですので、お手数ではございますが、下の四角のバナーに矢印を合わせて押していただけませんでしょうか? あなたの一押しが、僕の元気の源なのです・・・・。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 テーマ:英才・幼児・早期・障害児教育 - ジャンル:育児 |
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